SUV車にはクロスカントリー4WD車から派生したSUV車と乗用車から派生したクロスオーバーSUV車があります。SUV車の厳密な定義や発祥は難しい所がありますが、乗用車ベースのクロスオーバーSUV車の歴史で忘れてはならないクルマといえば、乗用車に4WDシステムをもたらし、オンロード4WDという概念を作り出したスバルレオーネ4WDでしょう。
実は歴史の長いオンロード4WD
4WDといえば、荒れた路面を走破するための機能というイメージが強いですが、実は高速走行時のスタビリティ向上目的に4WDシステムを採用するという試みの歴史は長く、世界初のガソリンエンジンの4WD車は1902年にオランダのスパイカー兄弟が作ったレーシングカーとされています。また、ハイグリップタイヤが存在しなかった1960年代にはF1でも4WDのマシンが4台存在したしたと言います。
またレオーネやアウディクワトロよりも早く、市販車でも過去にイギリスに存在したスポーツカーメーカー「ジェンセンモーターズ」が1966年から1971年にかけてジェンセン・FFというフルタイム4WDの大型GTカーを市販しますが総生産台数は320台に終わり、クロカン車よりも歴史があるにもかかわらずオンロードタイプの4WD車は長らく定着することはありませんでした。
瓢箪から駒の4WD化
のちに富士重工業(現スバル)のアイデンティティ同然の看板商品となる AWD(4WD)システム開発の発端となったのは、東北電力からの「現場巡回用車両にジープよりも快適な4輪駆動車が欲しい」という要望から、1970年に宮城スバルが独自にff1・1300Gバンをベースに4WD仕様を開発したことに始まります。冬季に雪深い東北の山岳路を走破できる4輪駆動車はジープくらいしかなかったのですが、第二次大戦時の軍用車両がベースのジープでは厳冬時の快適性が皆無に等しく乗り心地も悪いため、東北電力職員からジープよりも快適な走破性の高い巡回車両が求められていたのです。
ベースとなったスバルff1の水平対向4気筒エンジンの縦置きFFというレイアウトは、トランスミッションは後ろにまっすぐ伸びているため、トランスミッションにそのまま後輪へのドライブトレインを追加すればそのまま4輪駆動化できるという思わぬ副産物を持っていまそした。またff1を4輪駆動化するにあたって、510型ブルーバードのドライブトレインを使用しているのですが、ブルーバードのデフをそのままを取り付けたら前後のタイヤが逆方向に回ってしまったというエピソードも残っています。
試作車をテストした結果、積雪路での高い走破性が確認され、正式に富士重工業本体が興味を示し、ディーラー独自のプロジェクトが本社の正式な開発プロジェクトにボトムアップという異例の展開になりますが、実際のところスバルff1の前身となるスバル1000の開発途中から左右対称でトランスミッションが後ろに伸びるレイアウトから4輪駆動化の可能性も開発者の間では認識されていたといいます。
1300Gバン4WDは特別に8台製造され、東北電力や官公庁に特別に販売されます。
世界初の量産乗用車4WDレオーネ
1971年ff1からレオーネに移行、それまでの質実剛健で質素なスタイルのff1から、商品性を重視したデザインになったことで、マニアックなユーザーや自動車ジャーナリストを落胆させたとも言われていますが、1972年には後にスバル車の方向性を決定づける事になるレオーネ1400エステートバン4WDが登場します。
当時は日本のみならず、4WDと言えばジープ、もしくはその派生モデルや後発モデルのクロカン車しかなく、レオーネ4WDは世界でも唯一無二の乗用車型4WDでした。現在クロスオーバーSUVも含めて乗用車ベースの4WD車は高速走行や低μ路面でのスタビリティ保持を目的にした機構であり極端な不整地の走行には不向きですが、当初のレオーネの4WDシステムは不整地走行を考慮したもので、4WDモデルはFFモデルよりも車高を高めに設定してありました。また1975年には世界初の量産型4WDセダンとなるレオーネセダン4WDが追加されます。
4WDラリーカーのパイオニア
ラリー競技に4WDシステムを導入し、WRCマシンにおいて4WDシステムを常識の物とした4WDラリーカーとして1981年のアウディクワトロターボが有名ですが、実はアウディに先んじる事4年、スバルレオーネもラリーフィールドに4WDマシンを投入し4WDラリーカーの可能性を探求しています。
1977年のロンドン・シドニーマラソンラリーにレオーネセダン4WDで伝説のラリードライバー「オヤブン」こと「小関典幸」率いるスバルラリーチームが参戦します。当時の公認競技では乗用車型4WDというカテゴリーそのものがなく、オンロードレースはもちろんラリーでも4WDでもエントリーが認められなかったと言います。しかし、ロンドン・シドニーラリーは公認競技ではないため、ホモロゲも公認も無く、4輪車であればエントリー可能、レオーネ4WDがエントリーできる唯一のラリー競技でもあったのでしょう。しかし、このラリーでも乗用車型4WDのエントリーというのは前例がなく、4輪駆動クラスでエントリーしたものの、オフィシャルに4輪駆動車と告げても信じてもらえず、実際に前後輪をジャッキアップし4輪を駆動させてようやく4輪駆動クラスのエントリーが認められたというエピソードが残っています。
参考:SUV/RV車/クロカンの買取専門ページです
ロンドン・シドニーラリーは45日間の日程で17か国3万km、海上移動25日で実質の20日間で昼夜問わず不眠不休で3万kmを走破するという過酷なラリーだったといいます。結果は総合19位、4輪駆動部門4位、スバルラリーチームとは言ってもワークスのサポートもサービス隊も無くドライバー3人だけの実質プライベートのエントリーでこの結果は称賛に値するものでしょう。こうした地道なラリー活動は、後年のアウディクワトロをはじめとする4WDラリーカーに少なからず影響をもたらしていることでしょう。
オンロード4WDという可能性
レオーネ4WDの乗用車の快適性を併せ持った高い走破性は、豪雪地帯や山間部のユーザーには好評をもって迎え入れられますが、一方で都市部のユーザーからはレオーネといえば僻地の公用車や農家の作業車というイメージから「泥臭い田舎のクルマ」として長らく敬遠されることになり、レックスやサンバーといった軽自動車は売れても利幅の大きい(開発・製造コストも高い)小型乗用車のレオーネはなかなか売れないという状況が続きます。
一方で、高い走破性と快適性を併せ持ちスペースユーティリティに優れたワゴンモデルがスキーヤーやアウトドア愛好家から支持されるなど、後のステーションワゴンブーム、ひいてはSUVブームを予感させるものがあったといえます。
スバルレオーネは日本での販売は伸び悩んだ一方で長距離移動の多い大陸など海外での人気が高く、輸出専用の派生モデルにはスバルブラッドというレオーネのピックアップトラックも存在しました。
そんな中、長距離の高速走行の多い欧州や一部の日本のユーザーから思わぬ報告が舞い込んできます。本来、クロカン4WDと同様オフロード走行での使用を想定していた4WDシステムを高速道路で使用すると、悪天候時でも安定して高速走行ができるようになるというのです。本来レオーネの4輪駆動システムは現在のセンターデフ付きフルタイム4WDと違い前後のトルク差を吸収できないため、舗装路で使用すると曲がりにくくなり、通常走行での使用は想定していませんでした。
ここで、スバルに後の全天候型AWDにつながるオンロード4WDという概念が生まれることになります。
不遇の時代を経てクロスオーバーSUVへ
しかし、1980年代という時代はスバルにとって決して恵まれた時代ではありませんでした。スバリストと呼ばれる一部の熱狂的な愛好家を除きレオーネの「田舎臭い」というイメージの払しょくは難しく、国産車メーカー各社が好景気を謳歌する中、スバルの乗用車は販売不振に陥り、他社がフルタイム4WDのオンロード4WD車を送り出す中、乗用車型4WDで先行したはずのレオーネはフルタイム4WDで出遅れるなどの現在のAWDトップランナーのイメージとは程遠い、旧態化したメーカーに甘んじていた時期もありました。しかし1988年のレガシィのヒットにより、高速型オンロード4WDのトップメーカーとしての地位を獲得、またレガシィによるスピードトライアルやWRC参戦、1990年代のRVブームではそれまで日本では敬遠されていたステーションワゴンが人気を集め、長年にわたる不遇の時代に終止符を打つ事になります。
また、1990年代後半になると、オフロード走行よりも市街地走行に主眼を置いたクロスカントリー4WDとも違う、高い走破性を持ったレジャー等で多目的用途に使える4WD車「SUV(スポーツユーティリティビークル)」という新たなカテゴリーが現れ、オンロード4WDは新たな時代を迎えます。
オンロード4WDの礎となったレオーネ
空前のクラシックカーブームとなった今でこそ、レオーネは乗用車型4WDの草分けとなった名車として評価されるようになりましたが、現役当時は決して華々しい存在ではなく、質実剛健な実用車という地味な存在でした。しかし、当初は不整地走行を目的とした特殊な機構とされていた4輪駆動システムが、高速走行時のスタビリティの向上に寄与することを知らしめ、SUVのみならず、今やハイパワースポーツカーまで採用されることが常識となるまでに至ったのは、快適に路面状況を選ばず安心して走る事の出来る乗用車が欲しいという要望から生まれたスバルレオーネがあったからこそなのかもしれません。
[ライター・画像/鈴木 修一郎]